This is the year to take another step forward.
今年はどんな年になるのか、どんなことをしようか、そんな期待にワクワクしながら目標を立てるのもいいものですね。
新年を迎え、新たな気持ちでお過ごしのことと思います。皆さまどんなお正月をお過ごしでしょうか。本年も引き続き宜しくお願い致します(*'▽')
今年は、第二次世界大戦の終戦から80年を迎えます。また昭和100年であり、阪神・淡路大震災から30年を迎える年でもあります。ここ数日、昨年元旦の能登半島地震に関する報道も多く見られますが、これらを見ながら果たして自分はこの被災地の方々にずっと変わらず心を向けられていたのか、届けられていたのか…1ヶ月、3ヶ月、半年と過ぎるほどに減る報道と同様に、実際見た訳ではないのにまるで復興が終わったかのように錯覚していないか…自問自答する日々です。
万人救済の道を阿弥陀仏の本願念仏の上に見出された法然上人が浄土宗を開かれてより、昨年ちょうど850年を数えました。次は900年…ではなく、まずは851年目の今年を日々丁寧に過ごしてまいりたいと思います。「南無阿弥陀仏」ととなえることは、阿弥陀仏への信仰によって救われるという願いであり、またいつもあなたの幸せを願い優しく見守り続けてくれる方がいることの再認識でもあります。阿弥陀さんは毎日諦めずあなたに呼び掛けておられますよ(^o^)丿 今年もまた念仏のありがたさを発信し続けるとともに、一人でも多くの檀信徒皆さまとそれを共有できる…そんな一年になればと思います。
皆さまにとって幸多き年でありますよう願っております。寒さ厳しき折、お身体には十分気をつけてお過ごしください🍀
The people you love who have passed away are watching over you.
阿弥陀さまは、どんな時も優しく見守ってくださっています。お念仏をとなえれば、そのぬくもりを感じられるはずです。
澄み渡る夜空に輝く星がいっそう美しい季節となりました。月が替わってもまだ紅葉を楽しむことができるこの週末、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
「人間の身体は数十兆個もの細胞で構成されているが、それらはどんどん新陳代謝をして入れ替わっている。細胞レベルで言えば、一年前の自分と現在の自分は全く別物である…」これは最近視聴した番組と、積読(入手した書籍を読むことなく積んだままにしている状態)を読んで、その内容に共通していたところをまとめたものです。それぞれの発信者、著者は「福岡伸一」「平出和也」の両名です。自らの怠惰な面にフォーカスすると、この「人は(この瞬間も)再生を繰り返している→違う自分に変身できる」という話にはとても興味がひかれます(安易(一一")
「わざと自分を不安定な状態にして、さらにどんどん壊していき、さらにどんどん細かくして、そしてもうこれ以上壊せなくなった…という状態になったときに初めて現れる「新たな自分」。でもそれで終わりじゃなく、その先またその(最新の)自分を壊していく。自分の仕事はこの繰り返し」と語っておられた笑いの大御所の若かりし頃の姿も今思い出しました。
こうしてみると…誰もが心に抱く「何かしらの不安」な状態は、もう次なるステップに向けて心を決めた自らの状態を現しているのではないか、とも思えます。目的地は決まっているけどその過程を思う鬱屈した心情だけが重い(一一")
上記、自分の軽薄文に宗祖の話を続けるのは少々気が引けますが…法然上人も悩み悩まれた上、43歳の時に浄土宗を開宗されました。その節目の850年目が今年令和6年でありました。(阿弥陀仏のおられる)西方極楽浄土に生まれると心定めて、口に「南無阿弥陀仏」ととなえる…この(阿弥陀仏の)本願に沿った行いを示してくださった法然上人。その大慈悲の見守りの存在を知る、感じることが、明日を生きる誰か(我々全員)の活力になればと願います。各々その存在にしかできない役割…それを深められたら(*^^*)
年末に近づき何かと忙しくなる時期かと思いますが、無理だけはせずお身体大切にお過ごしください🍀
今週末11月30日(土曜日)、西光寺で「お十夜(正式には十日十夜法要)」と呼ばれる秋の念仏行事が予定されています。開始時刻は 午後 7:00 となっております。
蝋燭の灯りがほんのり空間を照らすだけの本堂で、手には同席の皆さまと大数珠繰りを、また同時に口にはそれぞれが先祖供養に加え家内安全や健康を願いながら約1,000遍の「なむあみだぶつ」をとなえる内容となっております。
年内最終のこの行事、興味関心持たれた方々どなた様でも(おじいちゃんおばあちゃん子どもたち…)是非当日ご一緒に念仏申しに来寺ください(^^)
Let us support each other for a better and happier life.
知る、知らずにかかわらず多くのつながりによって生きている私たち。
同じくお浄土へと歩む者同士、支え合う心を大切に過ごしていきたいですね。
街路樹も日ごとに色づきを増しており、深まる秋を感じる今日この頃…皆さまいかがお過ごしでしょうか。
MLBワールドシリーズにNPB日本シリーズ、陸上駅伝に高校サッカー…様々なスポーツ主要大会が目白押しのこの季節、鍛え上げられたアスリートたちの躍動する姿に感動を覚える今日この頃。しかし舞台が大きくなればなるほど、その当事者の緊張感も半端ない振れようであろうと思います(一一")
試合前の選手がよく話される言葉に「普段通り」「自分(たち)らしく」という内容があります。これは鍛錬を積み重ねた者であっても、それを十分に発揮することが如何に難しいかを物語っているかと思われます。
「お念仏をとなえれば、誰もがひとり残らず救われる」と説かれた法然上人。今から850年前にこの教えを説かれたその覚悟を思うと、先述のアスリート同様感服の念しかありません。厳しい修業を積むことのできる一部の者だけでなく、広く門戸を広げ生きとし生けるもの全ての救済を願われた法然上人。「共に(阿弥陀さまのおられる西方極楽浄土への往生を)願い、共に(念仏して)生きる」…お示しくださったその真っすぐな道を信じて、日々過ごしまいりましょう。
最近読んだ漫画『怪獣8号』13巻中に、ある上司(教官)から生徒(隊員)にこんな台詞場面がありました。
「あらゆる要素が下振れした時に出る最低限の結果、それが己の『実力』と呼ばれるもの。しっかり緊張して、失敗して、安心して下振れしてきなさい。…それで十分に君は通用するよ (^^)!」
かぁーっ!こんな台詞を言われてみたい、こんな台詞を誰かに掛けられる人生の先輩になりたい(心の声)。そのための努力を積み重ねてまいりたいと思います。
朝晩の冷え込みは日ごとに増してまいりますので、お身体大切にお過ごしください🍀
The moon may look different depending on where you are , but it shines down equally on us all.
阿弥陀さまはすべての人に慈悲の光を注いでくださいます。月は場所によって見え方が違っても等しく私たちを照らしているように。
朝夕の風に、ようやく秋の到来を実感する今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた紫式部…現在放送されている大河ドラマをご覧になっておられる方も多いのではないでしょうか。シナリオ以上に自分が注目しているのは、その劇中に映る「綺麗な仮名文字とその筆運び」…誠に美しく惚れ惚れするシーンに心癒されます(´▽`)
その彼女が記した和歌も選定されている「小倉百人一首」には、表題の「月」を含む歌が十一首あるそうです(ネット調べ情報(-_-;))…そのうちの一首を下に記します。
『 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出ずる月の 影のさやけさ 』(藤原顕輔)
秋の夜、流れる雲に時折遮られながらも変わらず光を届ける、自分が見上げたそこにある「月」の情景は、同時刻同じ景色を共有するものはきっと多くあります。しかし同じ「月」を見ながらも、それぞれその時々に置かれている状況によってその見え方は千差万別であろうとも思います。
『観無量寿経』にある「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の「摂取不捨」…阿弥陀さまは念仏申すもの誰一人見捨てません!とお教えくださいました。月そのものを見てその月の光の存在を知る、月影を見てその月の光の存在を知る…知り方はそれぞれでも、誰もが「あなたの幸せを願い、いつもあなたを見守り続けてくださっている方がいること」を認識して、どうかそれらを心強く心の芯に持って日々過ごしていって欲しいと切望します。
ご家族お元気で味覚の秋、行楽の秋…それぞれの秋をお楽しみください🍀
彼岸会は、春分と秋分を中日としてその前後3日間、菩提(ぼだい)の種をまく(迷いから離れようとする心を起こすこと)日といわれる7日間にわたって行われます。
この「彼岸」とは、もともと此岸(しがん)とよばれるこの世から、彼の岸(ひがん)である極楽浄土に想いをはせる行事で、極楽浄土へ生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間とされています。
西光寺、また超勝寺(水分)往西寺(白木)におきましても、下記のとおりそれぞれ秋彼岸会法要を予定しています。
西光寺 9月21日(土) 午後 7時開式
往西寺 9月23日(月) 午後 7時30分開式
超勝寺 9月24日(火) 午後 2時開式
本年度年行司の皆さまにおかれましては、当日様々にご協力いただきますが、どうぞ宜しくお願い致します。檀信徒皆さまも是非当日ご一緒に念仏申しに来寺ください(^^)
On the other side of the western horizon lies the Pure Land.
お彼岸の中日には夕日が真西に沈みます。
その向こう、西の彼方にある極楽浄土は、今は亡き大切な方と必ず再会がかなうところです。
行く夏を惜しむように、ひぐらしの声が聞かれる頃となりました。先月末より台風が列島を縦断していますが、皆さまご無事でお過ごしでしょうか。
以前は9月1日に新学期スタートのニュースを見聞きしましたが、最近は8月末にはその知らせを受けます。ゲームもスマホも持ち合わせていなかった自分の幼少時代を思い出すと、月末ギリギリまで外で遊んでいた記憶しかありません(^^;)
今日この日にインターネット検索ランキングで上位に見られる言葉に「今日から新学期」「不登校」「憂鬱」等があるそうです。友人たちと走り回って遊ぶ場所もなく、習い事等で忙しく、孤立する時間が長く友人関係が築けない…そんな自己肯定感を持つことが難しい子どもたちが上記の気持ちを抱く循環に心がざわざわします。
お釈迦さまが説かれた「因果経」の中に…
朋友(深い友だち)に三つの要法あり。一つには過失あるを見てはこれを諫め(いさめ)暁し(さとし)、二つには好事ある時は深く随喜し、三つには苦厄においても捨てざるなり…と一文があります。
訳すと…その人の欠点を明らかになった時はきちんと忠告しあうこと、その人が喜んでいる時は自分も心から一緒に喜び合うこと、その人が困っている時には見捨てることなく一緒に苦しみ助け合うこと
求めてもそんなに簡単にできるものではない「(本当の)友だち」ですが、上記お釈迦さまのお言葉を心のどこかに意識していれば、同じ気持ちを持つ者同士がきっと出会い、それぞれの生活環境の改善や心身の健康がより促進されるのではないかと期待せずにはおれません(´・_・`)
「西の彼方の確かな場所」…つまり西方極楽浄土にはそれらの見本となる仏さまや各御家庭のご先祖様がおられ、我々を日々見守ってくださっていますよ。
酷暑であったこの期間の疲れが出てくる季節でもありますので、皆さまくれぐれもお身体大切にお過ごしください🍀
今月 8月20日(火)に開催する「2024年 西光寺 大施餓鬼会法要」についてお知らせします。なおこの内容は先日各御家庭に配付致しました要綱と同じです。
当日みなさまに安心してお参りいただけるよう準備を進めてまいります。どうぞご協力のほど宜しくお願い致します。
以下に『回向依頼書(事前申込用紙)』も添付いたしますので、また必要に応じてご利用ください。
残暑厳しき折、皆さまご自愛ください🍀
Cleaning your family's grave will make your spirit lighter.
お盆の季節には、普段より一層ていねいにお墓の掃除をしましょう。
きっと心も晴れやかになるはずです。
蝉時雨の降り注ぐ夏の盛りとなりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
酷暑続くこの時期に思い出す言葉があります…
「たとえば、足もとに目を落としたとき、そこにくっきりした濃い黒い影がのびていれば、自分が背後から強い光に照らされていることに気がつくでしょう。上を見ることだけが光を探す手段ではないのです(五木寛之、大河の一滴)」
仏教の出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まりますが、日々の悩みや苦しみ、孤独や悲しみと対峙しているときに先の言葉は、袋小路に陥った心に新たな視点を生み出してくれる心強い言葉であるように思います。
法然上人の教えには、故人が間違いなく迷いの世界から解脱されること(往相)、浄土よりお護りいただくこと(還相)、死が永遠の別れではなくいずれ浄土において再会できること(倶会一処)が示されています。この八月は各御家庭のご先祖さまが彼の岸である西方極楽浄土から、此の岸である私たちが今過ごすこの世界にお帰りくださる期間となります。仏壇やお墓、またご自宅において、共に過ごした時間を思い出したり、その後の日々について語り合ったり…そんなお盆の期間となりますよう願っております。心にいつも念仏を。
まもなく立秋を迎えるとはいえ、まだまだ厳しい暑さが続きます。パリオリンピック、これからの高校野球等の視聴・応援でついつい寝不足になりがちなこの季節(+_+) 皆さまお身体十分気をつけてお過ごしください🍀
Be someone who helps others.
やさしい言葉やなごやかな表情などのささやかな心配りでも、接した相手には伝わります。
それは周りの人の笑顔にもつながっていくはずですよ。
色とりどりの七夕飾りを目にする頃となりました。梅雨真っ只中のこの季節、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今月26日から来月11日まで、第33回オリンピック競技大会がフランス・パリを中心に開催されます。この期間32競技329種目もの熱い戦いが予定されているそうです。厳しい選考を経て代表になられた…まさに表題の「周りを照らす人…たち」の健闘を祈り応援したいと思います(^^)/
『観無量寿経』には、「(阿弥陀仏から放たれる)一つひとつの光明は、あらゆる方角の世界を照らし、念仏をとなえる衆生を救い取って決して捨てることがない」とあります。我々が雑念誘惑多いこの世の中で修業を積むことは大変難しいことですが、阿弥陀さまの温かな光がいつどんな時もこの自分に届いていることを心の頼りに、日々「お念仏」とともに過ごしてまいりましょう。「え!この自分も(・・?」と思われるかもしれませんが、既に誰もが誰かの支えとなっている…まさに誰かを照らす役割を担っているかと思います。名前のない花はない…ではないですが、名前を知らない誰かが自分を支えてくれていることへの気付きを大切にしていかねばとも思います。支え支え合う…そんな優しく温かな気持ちがより実感できる世界でみんなが日々過ごせますように(^^♪
蒸し暑さとその後の本格的な猛暑到来への対応として、今のうちから鋭気を養っておきましょう!(^^)! 皆さまお身体十分お気をつけてお過ごしください🍀
When changing out your clothes for the season, refresh your spirit as well.
6月は衣替えの季節。服だけでなく、気持ちを切り替える機会にしてみましょう。
紫陽花のつぼみが膨らみ、いくらか綺麗な花を咲かせたものも見られる時期となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
周りの人から「あの人、良い人だよね」と言われているのに、身近にいる自分にとっては決してその通りではない…あなたの身近にそんな人はいませんか(^_^;) 先述した「良い人だよね」と言われる点を除けば、私自身も家族にそう思わせているふしがあります。俗に言う「外面のいい人」となるでしょうか。中国の伝統技能である「変面」に例えられることがあるほどです…。でも実際それほどにお面を内包していたら、それはそれで才能なんじゃないの…なんて思ったりもしますが(^^ゞ
ただ注意しなくてはいけないのは、本来の自分自身を見失うこと。パソコンの重たいデータや服の重ね着同様、我々の心もどこかに「快適空間、ゆとり」のスペースがないとその判断や日々の生活に「こんなはずじゃないんだけどなぁ(+_+)」という場面が増えるかもしれません。 ボクシングやフェンシングではないですが、攻撃(行動、判断)を起こした後、すぐニュートラルポジションに戻ることができる…そんな習慣とその立ち位置は日々確認しておきたいところですね。
法然上人は「念仏の修業は、智慧を極めて覚る道ではなく、愚痴に立ち戻って極楽に生まれる道である」と述べられています。積み重ねた修業があってこその言葉ですが、智慧によって迷いの境涯を離れることができない我々だからこそ、この言葉を深く信じて、日々の生活に「なむあみだぶつ」のお念仏を取り入れてまいりましょう。
まだ梅雨冷えする日もございます。どうか日々お身体大切にお過ごしください。
You have your own good qualities so don't compare yourself with others.
Just be who you are.
私たちは何につけ他者と比べがち。でも、あなたにはあなたの良さがありますよ。
紺碧の空に元気よく泳ぐこいのぼりを見かける頃となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
「今日一日だけは憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」…昨年のWBC決勝前に大谷選手が語ったこの言葉を記憶の方も多いと思います。これをお寺での日常に照らし合わせると「今日一日だけは(阿弥陀さま、お釈迦さま、法然上人等への)憧れを捨てて(捨てなくていいけど)往生叶うことだけ考えてただひたすらに念仏を唱えましょう」となるでしょうか (^_^;)
「オンリーワン!」の存在がクローズアップされるこの時代、個性的でないといけないのか?周りと同調しているだけではいけないのか?など考えていると「自分とはいったい」と本来の自分がどんどん見えなくなることもあるかと思います。『摂益文』というお経は「阿弥陀さまの光明は くまなく全ての世界を照らし 念仏する人を 必ず救いとる」と現代語訳されます。普段下や前を見ているだけの生活では気付かないかもしれないけど、ふと大空を見たら阿弥陀さまの光明が誰一人漏れることなく照らし続けてくださっている…その有難さをかみしめつつ、自己否定ではなく自己肯定感をもって日々大切に過ごしていくことを習慣としたいですね。
先に記した大谷選手は「憧れ」の対象として挙げた選手(ムーキー・ベッツ)と現在同チームで活躍されています。最後にその彼(ベッツ)の最近のコメントを記します。
「彼(大谷選手)のやることのうち90%は私にはできない。だからやろうともしない。私はムーキーでなければならないし、できるのは最高のムーキー・ベッツになることだ」
我々も最高の〇〇(自分)になること!(^^)!を目標に日々過ごしてまいりましょう。
風薫るこの季節、お健やかな日々をお過ごしください🍀
Let us practice nembutu wholeheatedly. Namu Amida Butsu.
開宗の文(法然上人が浄土宗を開くきっかけとなった要文)
桜の便りが各地から届く今日このごろ、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
令和6年(2024)は法然上人が浄土宗を開かれてから850年にあたります。「なむあみだぶつ」ととなえれば極楽浄土へ往生することができるとの浄土宗の教えは、上人が生涯をかけて広められたものです。
しかしそんな法然上人であっても自身の煩悩を断ち切ることができない我が身を嘆いて悩まれる時期もありました。厳しい修行を重ねたり高僧を訪ね歩いたりその閉塞感から抜け出す方法を様々試みるも、どれも納得のいくものではありませんでした。
そのような中で出会った光明が中国唐代の高僧・善導大師が著した『観無量寿経疏』にある「極楽浄土を心から願い、ひたすらお念仏をとなえれば誰でも往生できる。あらゆる方の力になりたい!と願われた阿弥陀さまの願いにかなっているのだから間違いない」との一節です。
のちに「開宗の文」と呼ばれるこの一節との出会いから今年で850年。この間脈々と相伝されてきたお念仏の教えを今後も大切に守っていけるよう我々が今この時を大切に過ごさねばなりません。「なむあみだぶつ」の声高らかに。
桜咲き揃うこの好季節、新年度を迎えお忙しい日々かと思いますが、どうかくれぐれもご自愛ください🌸
彼岸会は、春分と秋分を中日としてその前後3日間、菩提(ぼだい)の種をまく(迷いから離れようとする心を起こすこと)日といわれる7日間にわたって行われます。
この「彼岸」とは、もともと此岸(しがん)とよばれるこの世から、彼の岸(ひがん)である極楽浄土に想いをはせる行事で、極楽浄土へ生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間とされています。
西光寺、また超勝寺(水分)往西寺(白木)におきましても、下記のとおりそれぞれ春彼岸会法要を予定しています。
西光寺 3月19日(火) 午後 7時開式
超勝寺 3月22日(金) 午後 2時開式
往西寺 3月23日(土) 午後 7時30分開式
本年度年行司の皆さまにおかれましては、当日様々にご協力いただきますが、どうぞ宜しくお願い致します。檀信徒皆さまも是非当日ご一緒に念仏申しに来寺ください(^^)
Whether things are going well or not , try your best right now and have trust in the future.
目標への道筋は平坦ばかりではありません。それでもゴールを見失うことなくあゆみ続けることが大切です。
春なお浅く、朝夕まだまだ冷え込む毎日ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
この季節、胸に花束を抱く卒業生の姿を見かけます。コロナ渦で入学後しばらくは事前に思い描いた学生生活が送られなかったかもしれませんが、先日ふと目にしたその皆さんは、今ある自分の姿や友人との関係を胸いっぱい誇っているように感じました。その時その場所でできることを精一杯楽しんだ…そんな風にも見えました。もちろんコロナ渦のような時代に遭遇しないで過ごせたらとも思いますが、これこそ諸行無常。この間、日々をただ過ぎ去るだけで過ごさず、充実した日々として積み重ねられた皆さん一人ひとりに敬意を表すとともに、「その未来に幸あれ」と大きな大きな声援を送りたいと思います!(^^)!
法然上人は『行は一念十念なお虚しからずやと信じて無間に修すべし(行については「一遍や十遍の念仏でも必ず実を結ぶ」と信じながら、絶え間なく称えなさい)』と『小消息』に述べられておられます。先の見通せないこの世であっても、きっとその先には自分も周りの方もみんな幸せになれる世界があるのだと心を定め、まずは日々目の前の一つ一つの課題を丁寧に仕上げていく…この心持ちで一日一日過ごしていかなければと思います。止まない雨はない、雲の上はいつも晴れ!春雨続くこの季節こんな気持ちで過ごしてまいりましょう。
木々の芽吹き時は寒暖定まらぬ時期ですので、皆さまくれぐれもご自愛ください🍀
Thinking of those who have passed and putting your hands together each day can bring you peace of mind.
手を合わせて仏さまやご先祖さまと向き合う時間は、忙しい日常のなか、きっと心安らぐひと時になるはずです。
昨日までと同じ毎日がこれからもずっと続くと思っていた、当たり前の日常があったあの場所で…。天災地変が起こるたび無力さに苛まれますが、この年始もただ掌を合わせ心を手向けることしかできませんでした。
この合掌の姿勢とは、仏教では右手が仏さまの世界(極楽浄土)、左手が我々が今住まう現世を表しており、両手を合わせることでそれらが一体となり、成仏を願う気持ちを表しているものと言われます。また腹立ちを意味する瞋恚(しんに)や貪欲、愚痴などこれら三毒と呼ばれるものを仏さまの前で洗い清めることを表します。仏さまの前で掌を合わせることは、「悩み苦しむ我々一人ひとりを誰一人漏らすことなく無条件に受け容れてくれる世界がここにある!」と教えてくださる仏さまその人を仰ぎ尊ぶ姿でもあります。
以前に「若い人ほど身体の傷は治りやすく心の傷は治りにくい、年配者ほど心の傷は治りやすいが身体の傷は治りにくい(ーー゛)」と聞いたことがあるのですが、現代においては誰もが身体の不調に対しては医療の発展もありうまく手当てできるのに、なぜか心の不調に対しては蔑ろ、またお手上げ状態のことが多いように思います。そんな時はどうか掌を合わせ、仏さまやご先祖さま、また自分自身と向き合う時間を作ってください。相手を信頼することや調和を保つことの象徴でもあるこの姿勢は、今ご自身の周りにおられる方々の心をも癒す力があると思います。
皆さま何かとご多忙のことと思いますが、どうかご自愛ください🍀